…と、何かの会議の途中でふと私の口をついて出た。2021年秋。現下演劇公演をするにはたくさんの制約がある。客席間の距離、観客数の上限、換気、などなど。正直大変だ。めんどくさい。そんなただの悪態だった。そのつもりだった。しかし言い終わった瞬間に「あれ?」と思った。ひょっとしたらこれはむちゃくちゃ面白いのではなかろうか…??というわけで今回は、これまで十回と趣を変えましてオムニバスではなく1本勝負!挑みます。安部公房「箱男」です。複雑怪奇にして麻薬的な魅力を持つこの長編小説。その世界の一部を段ボール箱に「入って」お届けします。
前回、vol.10から随分間が空いてしまった。もちろんコロナの影響は少なくない。この間私はFAE(「演劇」をめぐるフィールドワーク)という企画に没頭していた。公演どころか演劇の稽古もままならない環境の中で走り出したFAEは、俳優が自宅で録画した自撮り動画を集め複数のiPadで同時再生することでコロナリスクの低い野外で「演劇」を再現する。(この企画については別に企画のwebページを作ったのでぜひ見てください。FAEホームページ)これの元ネタとなっているのはvol.10での「田中会議 the movie」というネタである。三枚のiPadそれぞれに私が映り4人の田中遊が会議をする。音声でこれまで何本も作ってきた鉄板ネタをついに動画にしてみた…。というもの。コロナが流行りはじめ「どうしたら演劇ができるか?」というようなことを真面目に考えた、というわけでなく、すなおに「じゃあ今度はこれやろう」と手が伸びた。 やりたくなった。戯式という一人でのパフォーマンスの「種」がコロナの環境下でFAEに育ったということだろう。そして今度は逆に「コロナ禍」という環境が産んだ「種」が戯式に戻ってこようとしている。
演劇だけでなく他さまざまな領域で、視覚聴覚いずれを問わず 「他者と接触し影響を与える」ことが、オンラインを除いては相当な困難と制約を背負わせれている。いわずもがなアーティストはその機会を希求している。他者と触れ合う機会を。しかしそれは難しい。この「他者との接触を避けながら、それでいてそれを求めずにはおれない」状況を、その極点にまで引き上げ小説としたのが安部公房「箱男」ではなかったろうか?箱男は「100×100×130cm」というとても大きな段ボールを被りその中に住まう。しかしちょうど目の高さのところに覗き穴を開けることは忘れなかった。「隔たり」と「つながり」。「自由」と「連帯」。その拮抗する渇望が「箱男」には凝縮されている。「繋がりたいけれど繋がれない」今だからこそ「箱男」の目線から見えてくるものは少なくだろう。
vol.10「旅のこと」
「旅のこと」
この夏(2019年)に家族で旅行に行ってきました。アメリカのニューメキシコ州というところ。妻の友人夫妻を頼ってほとんどホームステイの形で十日間ほども滞在させてもらいました。ニューメキシコ州はアメリカ南西部にあります。テキサス州やコロラド州のお隣で南側はメキシコとの国境とも一部接しています。元々暮らしてたのはもちろんネイティブ・アメリカン。そこにメキシコからスペイン人たちが入植してくるわけです。でもこの「スペイン人」たちも多くはメキシコという土地や風土とまじり、そして文字通り混血したヒスパニックでした。そこへさらにアングロサクソンが攻め込んでくる…。そんな歴史の結果、現在アメリカ合衆国の一部であるこのニューメキシコは州の人口全体の中で締めるネイティブアメリカン、およびヒスパニックの割合がアメリカの50ある州の中で一番多いのだそうです。異なるルーツを持つ人々がところどころでは混じったり、いや頑なにその色を貫き通したりして混沌というかマーブル模様というか、そういう人種、文化を持つ土地です。そんなユニークな土地柄はいわゆる「アメリカ(U.S.)」のイメージにはおさまりきらない。「アメリカ国内であってアメリカじゃない」この地にはアメリカ国内からの旅行者も非常に多いのだそうです。僕たち家族にとってとてもとても楽しく有意義な旅でした。サンタフェの街も、定住ネイティブアメリカンの遺跡も、メキシコの影響が強い料理も…。次から次へとやってくる未知との遭遇にめまいがクラクラするような。でもクラクラとふらつく足取りで「あっちも、こっちも」と強欲に様々なものと出会っていく、そんな旅でした。文化、芸術、建築、料理、人々、それぞれが実に実にユニークで、刺激的。僕はまるで爆竹が跳ねまわるようにいろんな角度に触発されました。
旅は新しい発見やアイデアを人に与えてくれるものです。日常から離れた空間時間から得られるインスピレーションは、僕の新しい作品のタネになり、また肥料にもなる。旅で僕が一番好きなのは「目的なく散歩している時間」です。どこか観光スポットへいくことや、美味しい料理を食べることも素敵ですがそれよりも、その知らない街や土地をぶらぶらと歩いている時間が一番好きです。そんな風に歩く機会がこの旅でも何度か持てました。今書こうとしているのはその時のことです。その時僕が歩いていたのは「どこか知らない街」ではなく「どこか知らない砂漠」でした。
ニューメキシコ州はアメリカで五番目に面積の大きな州だそうです。大きな街もありますが、その町と町との間には、とても広い自然が広がっています。ジョージア・オキーフ が愛した荒野や、川や山、そして砂漠。旅の後半で僕たち家族は「ホワイトサンズ 国定公園」というところに連れて行ってもらいました。(グーグルで画像検索してみてください)「ホワイトサンズ 」つまり白い砂漠です。その国定公園を含む白い砂漠が東京23区よりも広い範囲に広がっている。かつて核兵器実験も行われたそこは「砂丘」ではなくて掛け値無しの「砂漠」でした。僕らがアメリカに着いた日、空港まで迎えに来てくれた妻の友人が彼女たちの家に向かう車中で、「2、3日まえにドイツ人の観光客がホワイトサンズ で遭難して死んだ」という話を聞かせてくれました。その時には「ふーん、そうなんだ…」とあまり気にも止めなかったのですが、実際にその白い砂漠に連れて行ってもらって納得しました。
「うん。これは死ぬ」と。
私はsimフリーのiPhoneに、現地で使えるプリペイドsimを指していたのですが、駐車場から5分も歩いたら電波は途絶え、10分歩くともう見渡す限りの砂漠でした。白いうねり、繰り返されるなだらかな稜線…。僕はさらにそこから20分歩きました。周りには人影が全く見えなくなりました。遠くから聞こえる声もありませんでした。風は音を立てずに吹いているようです。その風が作った風紋、白い砂の丘の表面のえもいわれぬパターン。後ろを振り返るとその風紋を汚すかのような自分の足跡が点々と…。僕は真っ白な砂漠の中にたった一人で立っていました。「うん。これは死ぬ」と思いました。また「死んだとて、どうということない」と、体感しました。わからされました。
「大自然を前にして、人の、己のあまりの小ささを痛感させられる」。そんなどうしょうもなく凡庸な自分の反応も含めて、僕は絶望をしたのです。そこまでの旅の中で掴みかけたアイデアや、ノートに走りがいたテキストも、いや、今回の旅の、というよりこれまでの自分が作ってきたものの全てが、ちょうど目の前の白い砂のようにさらさらと風に吹かれていく思いがしました。僕は立っているのがやっとでした。
「自然」と「己、または己の作品」を比較するということが、どれほどおこがましく滑稽で哀れな態度であるか、それを思わないわけではない。ただ芸術は、その自然にほんの少しの爪痕でも残そうとする営為ではなかったか。
「ただ生まれ、ただ生き、ただ死ぬ。」
それだけで全く語り切れる自然の人の生に、可能であるならばほんの爪痕の一つでも残そうとする行為。それが芸術なのではないか。芸術とは悪あがきではないか?だとして、だとして、私は悪あがいているだろうか?
自分が「ゲイジュツ」をしていると思っているわけでもそう言いたいわけでもない。演劇という表現活動を「ゲイジュツ」と呼んでも呼ばなくてもそれもどっちでもいい。確かなのは「それをやらなくても『たた生きて』はいける」こと。僕は演劇をしなくてもただ生きてただ死んでいく。「田中遊が自然に生きて死ぬ」為に演劇はことさら必要ではない。であるのにもかかわらず、それでもするなら。足掻かないと。最低限足掻けるだけ足掻かないと。それが結論です。
vol.10。あがきます。ぜひご覧くださいませ。
2019年11月30日
田中遊
vol.9「懲りずに前へ」
「懲りずに前」
何とかかんとか9回目までこぎつけました。やり続ければやり続けるほどさみしくなる一人芝居です。本当になんでこんなことを始めたのか…。(苦笑)ラジカセに相手をしてもらうのはもうある程度やり尽くした感じはあるのですが、ルーパーの方はまだまだ「未開の地」です。ルーパーが二台になれば、三台になればどうなるのか?もっと思い切って事前に録音した音源をルーパーにも使ってみたらどうなるか?例えばルーパーだけで1時間ものが作れないか?…。思いついてしまったらやるしかなくなる。これが一人でやってることの「辛さ」というかなんというか。ようは「止めてくれる人がいない」ってことなんですけど。片道切符で行けるとこまで行ってやる。それぐらいの気概で今回も突き進もうと思っています。是非是非けったいなパフォーマンスを見に来てやって下さいませ!
そうそう、これも新たな試みとして京都でルーパーを使った無料ワークショップをします。より沢山の人の声をサンプリングしてなんとその場で作品を作ってしまおうという相当野心的な試みです。「そもそもルーパーってなによ?」って方は去年作った<ルーパーの紹介ビデオ>をご覧くださいませ。
これは「アトリエ/あのいえ」という作品の宣伝で作ったものです。
是非是非ご参加くださいませ。
2018年11月25日
田中遊
vol.8「いつまで続けられるのか?それが問題だ」
「いつまで続けられるのか?それが問題だ」
先輩が病に倒れ、後輩がもっともな理由で舞台を離れていく。住処みたいだった劇場が無くなり、妻はもう「自分が何を諦めたのか」を思い出せなくなっている。この数年特に「なせ演劇を続けているのですか?」と聞かれることが多くなってきた。おそらく不思議なのだろう。
「僕の一人芝居見に来ればわかるよ。」
と
いつも思うけれど、あんまり不遜なのでそうは答えずにただ、はにかむことにしている。「四十三のおっさんのはにかみ」が極度に気持ち悪いことはこちらも承知の上だ。それは私の些細な悪意なのです。
この十月にルドルフという公演に出演させていただいた。劇団衛星時代の同僚、筒井加寿子のプロジェクトで、共演者は全員男性。その多くが一人で舞台に立つことのある俳優だった。(もちろんそれは彼女の作為であったのだ)
その全員が歪(いびつ)であった。
そう。歪んでいた。しかし人は誰しもが歪んでるものである。背骨がきっちりまっすぐな人も、顔が完璧に左右対称な人もいない(ということにしておこう)。木々もそうで林の中にある時にそれは全く気にならないが、その木が一本で立っている時に私たちは気がつくのだ。
「なんか歪んでるねぇ」
と。
誰が言ってたか忘れたけれどやはり一人芝居というは演劇として「異形」なのである。それは「一人芝居という形式が異形」だというよりは、一人で舞台に立つということで、複数でいるときには気になりにくい一人一人の「人間のゆがみ」が浮き彫りにされるということではないだろうか。自分の歪(いびつ)をさらけ出すことで、みたひとそれぞれが、自分の中の歪を認識し、そしてそれを肯定して愛することができる。そんな一人芝居をいつの日かやれたらいいなぁと。欲が出てきた今日この頃。「いつまでも」とは言わないけれどvol.10ぐらいまではやりたいです。はい。
2017年11月30日
田中遊
vol.7「7度目」
「7度目」
もう7回目と思うと「そこそこ頑張ってきたな」という思いと「まだまだだなぁ」という思いが同時にやってきます。つまりはとても中途半端な時期なのです。
企画の方向がある程度定まってきて、安定感が出てきた反面、何をするにしても「以前との比較」が頭をよぎり、創作がストレートでないというか…。少し前はもっとシンプルにやりたいことを作れていたような気がします。アイパッドのネタなどは、「石の上にも三年」じゃないですが、これからも引き続き同じところをより深く掘って行きたいとも思う。しかし正直自分でちょっと飽きてきてる。
変わるべきか居つくべきか?という問題が一番目の前に浮かぶ。でもそこは本質じゃないよなと思う。まるで思春期みたいに思考が行ったり来たりする。ああ七回目。
自信を持って、ふらつきながら、お届けします。これが田中遊です。
2016年11月19日
田中遊
vol.6「四都市」
「四都市」
今回は四つの会場で公演させていただけることになりました。大変ありがたく、嬉しいことこの上ありません。東へ西へと各地でお芝居をさせてもらいながら放浪し、それで生きていけるのならば、そんなにロマンティックなことはないのではないか、と思うわけです。「旅芸人」「ジプシー」「サーカス団」、最小限の道具と、己の身につけた技術だけに依って生きる者たち。・・・
でも実際上、彼等が生き抜いていく為にはそれぞれの「曲芸」や「楽器」のスキルを身につけているだけでは足りないのでしょうね。各地のオーガナイザーとの交渉交際術や、放浪者同士の情報交換能力。原理原則に囚われない臨機応変さ(いい加減さ)や、逃げ足の速さなんかも重要で、いやむしろ、それらのいわば「副次的な」技術の方が「一度にジャグリングできるナイフの本数」よりもよっぽど、旅芸人がサバイブしていく上で欠かすことのできないファクターなのじゃないだろうか。彼等は「行商」の一種です。需要があるところ、ありそうなところを目指して右往左往する。ミツバチみたいに。彼等は「職人」なのですきっと。
「職人とアーティストの違い」について、大昔に知人が彼の私見を聞かせてくれました。曰く「需要に応じて作品を作るのが職人であり、需要なき所に作品を作るのがアーティストである」つまり「誰も頼みもしないのに、作品を作っちゃう」のがアーティストだよ、と。(そう僕は解釈したけれどなにぶん大昔の話なので確かなことはわからないです)彼は「演劇をするなら「職人」になってはダメで、「アーティスト」でいるべきである」という文脈の中でそう僕に話してくれたのだけれど、あれからずいぶん長い時間が経って、未だに僕はわからないでいます。アーティストか?職人か?果たしてどちらであるべきなのか?
というか、それって「二択」なんですかね?他の選択肢は?あるいはその二つの線が交わる点がどこかに・・・?
と、考えてもわからないことは、続けていく中で答え出すしかありませんので、精一杯頑張る所存です。
会場でお会いできますように。
2016年5月18日
田中遊
vol.5「Wゲスト!?…だと!?」
「Wゲスト!?…だと!?」
今回で、戯式プロジェクトもじりじりとvol.5までこぎ着けました。一人なものですから継続するのも(他の大きなプロジェクトに比べれば)さほど難しいことではありません。僕が心を強く持ち続けるけることができればまだまだ続けられそうではあるのですが、それにしても毎度難渋するのが「ゲスト」のブッキングです。(戯式はゲストコーナーが必ずあるのです)けったいな一人芝居(?)にそもそも関わってあげようって方がまず奇特ですし、「なんかおもしろいことできると思うんですよね…。」という僕の話の振り方もひどい。そんなんじゃ頼まれる方はそうひょいひょい乗って来れるもんじゃないってことはわかってるんですが、「いろんなジャンルの人といろんなセッションをしてみたい」というコーナーなものですから僕としては仕方が無いことではあるのです…
それがどうしたことか今回はなんと二組。しかもお二人ともとびっきり素敵な女性なのです。
かんのとしこ さん
はアコーディオン奏者でらっしゃいます。インプロ(即興芝居)の伴奏(もちろん即興)で参加されている現場でご一緒して、「あ、これはいける」とまた根拠無く思ってしまったのですね…(苦笑)アコーディオンって人の呼吸に似ていてすったりはいたり、実に感情的な楽器だと僕は感じていて、うまく絡めるとこれは俳優さんと絡むよりも演劇的なことになるかもしれない…、なんてにやける一方…
豊原エス さん
は詩人でらっしゃいます。出会いはもう20年近く前になるでしょうか…。彼女の詩の一部をお芝居のタイトルに使わせてもらったり、交流はありつつも実際にパフォーマンスとしてご一緒したのは一度きりです。彼女の言葉はいつも誰かに語りかけているように僕には感じられていて、その「相手」いる空間、つまり演劇の舞台の上にその言葉を置いてみたらどうなるのだろう?とか…
もちろん一人のネタも充実させまして1月23、24日お待ちしております。是非是非お越し下さいませ。
2015年11月25日
田中遊
vol.4「祭を夢見て…」
「祭を夢見て…」
ルーパーを使ってのネタが前回vol.3産声をあげて、ホッとする暇もないままvol.4がやってきてしまいます。目下の夢を語らせてもらえるならば「祭」がしたいっ。です。
この戯式シリーズvol.1,2,3 と着実に毎回更新されてきた「会議」というネタのシリーズがあります。ご覧いただけるとわかるのですが、基本田中遊同士で会話するというネタなんですが、今度のvol.4でまず間違いなく「会議4」が作られるはずです。そうなるとなんと「会議祭」ができるではありませんか!「会議ネタだけの会」です。「会議1」から2、3、4と4作品を連続上演。これはきっと面白いですよ。」あと「ルーパー祭」も是非是非やりたいんです!ルーパーのネタというのは、その場で自分の声を録音しながらそれをループ再生していく上にさらに自分の声を重ねたり抜いたりしながらお聞きいただく、今の所「朗読劇」「ラジオ(じゃないけど(ドラマ)」に近いネタですが、もっと「音楽寄り」にもなれるだろうし、あるいは今、iPadでやってるのをiPhoneにして無線で飛ばすと、体の動きも取り入れられる!だとか。
嗚呼!夢は膨らむばかりです。とはいえそのためには準備が必要です。祭の準備。櫓を組み、紅白幕をかけ、提灯を付けて…
田中遊ほぼ一人舞台「戯式」。去年から本格始動して4回目の公演ですが、まだまだ「準備作業」続くのかもしれません。あ、でも、準備だからといって「つまらない」わけじゃないですよ。そこはご安心を。安定したレパートリーと出来立てホヤホヤの新ネタで今回もお迎えいたします。是非是非お越しを。で、きたるべき祭の日にですね。「あぁ。私はこの今や鉄板となったネタのネタおろしに立ち会ったのだわ!」なんて。ね。そんな風に思っていただけるように息長く続けていこうと思います。
何はともあれ、一度このけったいな「田中遊ほぼ一人舞台 戯式」の世界を覗いてみてくださいませ。
vol.3「遥かなるサッパ」
「遥かなるサッパ」
戯式シリーズで目指していることは「パッとやってさっと終わるイベント」なんです。でもどうしてだか実際には「うんうん言いながら作りハァハァ言いながらやって終わるのはさっとだけどその後ドヨーンと引きずってしまう大仕事」でして第三回の今回も確かにそんな形で動き出しています。
つらい・・・。寂しい(一人だし)
いや、もう少しコツがわかって、いろいろ作業が短縮されれば随分楽になると思うのです!その為には慣れが必要です。慣れる為にはある程度頻繁に「戯式」をやっておかなきゃならない。間が空いてしまうと忘れちゃいますしいつまでたっても熟練しません・・・
でも、もっとレパートリーが増えてくればそりゃ楽になると思うんです!(新作のテキスト書いて録音して編集して稽古してって、とんでもない作業ですから。)で沢山のレパー。トリーを持つためには当然、新作を沢山作らないといけないと・・・
で、つまるところ、早く「サッ、パッ」に、つまり楽になろうとすればするだけ、今「高頻度で新作ばっかりの戯式」を作らねばならないと・・・。そして未来に必ず楽になるという確証があるわけでもないのですから、これはもう「一人ネズミ講」なのかもしれません。
ハツカネズミがカラカラ回る車輪の中でいつまでも走り続けている・・・
あ、ダメだ。涙が・・・
と言うわけで今回は、そんな「くるくる回り続ける」(=音声が繰り返し再生される)ルーパーと言う機械を使った作品にもチャレンジしたいと思っています。是非見に来てください。
2015年2月25日
田中遊
vol.2「のど元、いまだ通過中」
「のど元、いまだ通過中」
さて。早くも第二弾な訳です。
田中遊ほぼひとり舞台「戯式」です。
Vol.1が六月ですから四ヶ月程ですね。七月「石/君のこと」という公演があり、八月にもソロパフォーマンスもありでしたので、本当にバタバタとしておりまして、正直vol.1のことをあまりよく思い出せないのです。ただ「辛かったような気がする」とだけしか…。
一人芝居制作の過酷さを久々に肌で感じたということでしょう。一人芝居をし始めてからこれまでの流れでは、なんとなくその「いたたまれない辛さ」を忘れたころに、「まあ、またやってみようか?ね?」なんてコリもせずというような展開だったですが、今回は(詳しく覚えていないとはいえ)間隔が短いものですから、その「熱さ」はですね、まだしっかり喉元が覚えていますし、食道から胃袋にかけて、確かな焼けるような感覚が、今まさに焼け続けている感覚があるのです。のに。それでもやろうというのはどういうことか?
これは一重に「歳じゃないか?」と、人ごとのように考える次第です。「もう後何年?」「もう後何回?」って、考えないですけども、どこか奥の方でそんなことを感じて、それで突き動かされているのかもしれません。
また今回ゲストで参加していただく、竹ち代毬也さんに随分と影響を受けていることもあります。竹ち代さんは本当に「大丈夫?」っていうぐらい「本番に継ぐ本番」なんですね。その僕が一人芝居をしていた頃なんか、「なんか知らんけど、四週末連続で本番でね〜」なんて苦笑いしながらお話しされていましたっけ…。
ま、なにせやります。今度はブラックボックスです。黒い闇に包まれていると、お客さんを「どこにでも連れて行けそう」な気はしています。でも、それは裏返すと「どこかに連れて行かれて当然」ってことなので、「連れて行った先で何が待ってるの?」ということが、お客さんにすれば、問題として浮上してくるかもしれません。それは僕としては困ったことなんですね。別になんにもでないですから。心にしみる深い話とか、生活の役立つTipsとかないですもの。
劇場で、お客さんと僕とが出会えたことを、それ自体を。素直に祝福できるようなステージをしたくって。だから僕にとって今回のこの「闇」は味方なのか、敵なのか?未だに判断がつかないのです。スリリングです。ぜひぜひお越しを。
vol.1「戯式」と「建国」
「戯式」と「建国」
「戯式.vol1」は実に久々の一人芝居となります。最後にやったのがいつなのか思い出せないぐらいですが、結構評判は良かったのですよ(笑)で、またやってみようと思いまして。というよりも本当のことを言えば、一人芝居は定期的に作り続けていたかったのです。でも諸般の事情(≒自分の怠惰)により実行できずにいたと。その反省と自分への「喝!」の意味で「.vol1」という表記を付け足したわけなのです。では残りの「戯式」とはなにか?と。もちろん当欄はそれをご説明する為のものなのです。
冒頭「一人芝居」と書きましたが、「それが芝居かどうか?」ということに今の僕はあまりこだわりがありません。それは「芝居はやらない」ということではなくって、むしろ「お芝居」もやりたい。でも「お芝居じゃないのもやりたい」ということなんです。前にやっていたのはラジカセを何台か使っての「一人芝居」でした。そのスタイルにこだわることなく、もっと「足場」を広げたいと感じているのです。
「お芝居仕立てのなにか」あるいは「何か仕立てのお芝居」
もっと言うと「田中遊仕立てのなにか」「何か仕立ての田中遊」という範囲(フィールド、空き地)で探検をしてみようじゃないか(だからこそ継続してやろう)ということなのです。その探検に必要な装備、道具はいくつか用意したんです。一昨年来断続的に触れて来た「インプロ(即興演劇」。また「フリースタイルラップ」がコンパスとなり金属探知機になってくれるはずです。もちろんこれまでも僕を支えてくれた「演技」が一番の杖であることは言うまでもないですね。
唯一困っていることはその「呼び名」です。「芝居に限定しない」のであれば「一人芝居」はおかしいし、「ソロパフォーマンス」ってのもなんか気取った感じでいまいちです(しょっちゅう使ってますが(苦笑)。「独り舞台」というと相棒達(ラジカセ君やラジカセさん)に申し訳ないでしょ。実際彼らが機嫌を損ねると、大変な事態になるわけですからして、ええ。
「なんだ、これは?」と聞かれたらば、「戯れ」だというのが一番正確で一番誠実な答えだと、そんな時間にしようと思っています。正直者の会のマナー「戯声」と同じく。
子供の遊びのような時間を作りたい。
子供の振舞いを見て、僕たちは「戯れ」と言いますが、無軌道に見えるそこにも、本当は歴然とした「ルール」「系」「因果」があります。ただそれは実に融通無碍で、頭がすっかり固くなった僕たちからすれば理解できないのです。それは僕たちには見えなくなった「世界のルール」に則って進みます。僕たちが聞かなくなった声を燃料にして。それはしばしばトンチンカンな手続きを一つ一つ踏まなくてはなりません。「滑り台を三回滑ってからおままごとに混ぜてもらえる」とか…。それはまるで儀式のようです。ただそのルールは僕らにはわからない…
僕がしたいのは「トン」と「チン」と「カン」を繋いでいる紐を探り当てることなのです。探検服に身を包み、スコップで地面をほじくり返そうと思います。うまくその紐が土の中から姿を現したら、もうその瞬間に僕の周りは「トンチンカン国」になっているのです。
「戯式」はその意味で建国作業とも言えるかと、いや言えないですか?
見に来て確かめて下さい。
2014年5月11日
田中遊