ひょんな思いつきから始まった「箱をかぶって箱男朗読会」もいよいよ残すところあと二回になりました。まだ体験されていない方には是非ご覧いただきたと思い、改めてこの朗読会に込めた思いと言いますか、そういうものを書いてみようと思います。
というか、この企画が動き出すという時にもちろん企画書は作るわけですからその時、既に「理屈」の部分は書いてるんですが、こちらのブログの方にはあげてませんでした。ので。今回の企画の「狙い」という部分を今更あらためて、です。
多くの人が今、社会に対してどこか「すわりの悪さ」を感じているのではないだろうか?コロナ禍によって日常になったマスク着用。拡大を加速した「インターネットツールを使ったコミュニケーション」(そこには表現活動も多く参入した)…それらの<匿名性><距離感>に私たちはもうすっかり慣れてしまった。とはいえ時に私たちは「より直接的な繋がり」を強く欲する。「届かない」「刺さらない」ことのもどかしさと、逆に「隔たり」がもたらす安心感の間で私たちは振り子のように揺れ続けている。それが「すわりの悪さ」の内容だろう。その「揺れ」=振幅がまさに小説「箱男」の世界で描かれているものである。小説内で箱男は大きな段ボールをすっぽりかぶって街に出る。箱の中に引きこもりながらも外の世界に我が身を放つ…。
本企画の「会場にいる全員がそれぞれ箱を被っている」状態は、私たちをさいなむ「社会的距離」のデフォルメされた現出だ。箱をかぶった観客は自身が「箱男」になって小説世界を体験する。それをくぐり抜けたのち、今の社会の「すわりの悪さ」について考える機会になることを期待する。
…、というようなことなのです。本当にコロナがなかったら思い付かなかった企画です。「災い転じて福となす」。しかないですもの。是非ご来場くださいませ。