まとめ

写真撮影:西岡真一

長ったらしい文章を最後まで読んでいただいてありがとうございます。ここまで「戯声(たわごえ)」についてご案内してきました。

「無規則」という規則に縛られる事がないように。また「規則」と「無規則」という一つの対立項間を行ったり来たりするのでもなく。いくつもの「規則」「無規則」の間をより立体的に行き来する。そしてその「ルート」が、それ独自の「脈略」「リズム」「メロディー」「デザイン」を獲得した時、それはとても奇妙な魅力を発揮し始めます。
少し話を大きくすると、その「『存在だけ』は確かにはっきりと感知できる。しかしその『ある流れ』が一体どのようなものなのか。僕にははっきり見えないし、理解も出来ない。」というのは、「幽霊」だとか「神様」「運命」「血のつながり」「自分という存在」といったものたちもそうかもしれません。そして私たちは否応なしにそういう物に引きつけられてしまうようにできてるんじゃないだろうかと思うのです。

もしも気が向いたらば、この「戯声」をぜひやって見てくださいませ。ややこしい事をつらつら書きましたが、ようは「声を合わせる」ということなんです。それだけなんです。そして他人と声を合わせるというのは、それだけでことのほか楽しい物です。

2011年6月4日 田中遊